中断熱コンクリート打放しのシンプルな家


by jutok
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鞆の浦の漁師さんの家について

福山市・鞆の浦は、自分の知っている20年前に比べるとお店も増え、観光客も増え賑わっています。

先日、鞆の浦に行ってふと気付いたのですが、
僕は、鞆の浦といえば漁師町のイメージを持っているのですが、
自分も含めて観光客の人は、漁師の家を見ることはなく、
常夜灯や太田家住宅のあたりを見学して、これが鞆の浦だと認識して帰っていきます。

漁師の家を見ることはないでしょう。日本全国漁師町というのは、狭い敷地にひしめき合って
建物がごちゃごちゃして建っている集落が多いと思います。
そういう鞆の浦の風景に興味を持つ観光客は少ないのではないか。

保命酒の製造者であった太田家の周辺は、酒屋、商人の町であり建物も町家形式です。
まして、太田家住宅は、今の時代であれば大豪邸であり、国の重要文化財に指定された後に
6年の歳月と10億円に近い費用をかけ保存修復が行われた建物です。

築200年の建物です。僕の感覚では最近建てられた建物という感覚なのですが、
建設当時も莫大な費用が掛けられ、修復にも莫大な費用が掛けられ、
家はそういうものしか残らないし、そういうものにしか観光客は関心を持たないものなのでしょうか?

設計をしている立場から言うと、現代の庶民、普通の人の家を普通の値段に作って
太田家住宅に負けないように長い期間 大事にされ続ける建物をつくりたいと思っていて、
そのためにも、耐久性があって、時代が変わってもその時代時代の人に美しいと感じてもらえる
普遍的な美しさを持つように設計をしたいと思っています。

ギリシャ、ローマの時代から、奈良、平安の時代から現在残っていて、
価値があるとされている建物は、権力者、教会・寺院・お金持ちの建築物ばかりです。
近世以前は、文化の主役はそう言う上のレベルの人たちだけのものだったので
仕方がないのですが、近代以降から現代は普通の人が文化の主役の時代だと思うのです。

自分が庶民だからこそ、普通の人の家を、とてもいいように設計したいと思っています。

そう言う意味でも、民家が好きだと言っても、当時のお金持ちの商人の町家には興味がなく
農村に立つ、平家の農家に惹かれています。
(地主と小作農の関係もあったので、残っているのはある程度裕福な農家が多いのですが、
そうでもないのもあり、そう言うものは一際輝いています。
家の価値はお金の多い少ないというのを設計の力で超えていきたいのです。)

先日、鞆の浦を散歩していて、ふと面白いことに気づきました。
動画にしてあるので、宜しかったらご覧ください。
結構、どうでもいいことですが、個人的な設計者視点、民家研究の視点からすると面白いテーマを発見しました。
11分後ぐらいからが本テーマです。


鞆の浦の漁師の家のお風呂は玄関の向かいにあることの発見。
11:40に扉が開いていたためお風呂の位置に偶然気付き興味を持ちました。
農家住宅でもお風呂は外棟に作られているのはよく見るので、それに関しては不思議でないのですが、
玄関先というのが興味深く、これは、鞆の浦漁村特有のことなのでしょうか。
漁から戻ると家に上がる前に、潮を落とし身体を暖めることができ洗濯もできて便利だと思います。
ただ、なぜ路地を挟んだ棟にお風呂があり、どこまでが一軒の家の範囲かがわからないのは今後の課題です。
また、この形式は戦後からのものか、それ以前のものかも不明です。
というのも、お風呂に関しては、戦後しばらくは銭湯が中心だったと思います。
今の四角駐車場は昔は銭湯だったと聞いています。 各家庭に薪でたくお風呂があったのかも不明です。
密集しているため煙は凄いことになるし、火の用心は相当のものだったと思います。
洗濯に関しては、昔は共同井戸で洗濯をしていただろうし、洗濯機が3種の神器として家庭に普及したのは1950年代以降なので、
各住戸内に洗濯機置場がなく今のように路地に置くしかないのは戦後のことだと思うからです。







by jutok | 2019-02-08 21:46 | 民家・集落研究